2008年07月08日

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2008年06月30日

病気と苦痛

人間一度病気に罹るとする。病気に罹ったと言う意識は苦痛である。言わば病気即苦痛である。然し苦痛にも色々の種類がある。これまでの医学は病気と苦痛を同じものにみていた。それが為苦痛を緩和すればそれだけ病気も緩和すると思っていた。此の考え方が根本的に間違っている。それを説明してみよう。茲で最も多い感冒を取上げてみるが、先ず熱が出るとする。頭が痛いから氷で冷すや幾分楽にはなるが、それは病気が軽減したのではない、苦痛が軽減したのである。これが根本的誤謬である。それは病気と苦痛とは別々のものであって、実は苦痛を緩和すればする程病気は悪化するのである。此の説を見た現代人は余りの以外に唖然とするであろう。然し、これこそ絶対動かす事の出来ない真理であって、これを基本としなければ真の医学は生れないのである。以下解くところによって何人と雖も衷心から納得して一言の否を唱うる事も不可能であろう。昔の人が、自惚れと瘡気のない人はない、と言ったが誠に面白い比喩である。実際どんな人間でも先天的毒素を保有していないものは一人もないと言っていい。而も毒素保有量は予想外に多いものである。此毒素とは薬剤の変化したもので我等は薬毒と云う。此薬毒に就ては別の項目に詳説するが、兎も角右の保有毒素は新陳代謝の活動によって、体内の各所に集溜する。そうして時日の経過に従がって漸次固まってしまう。毒素の集溜の個所としては神経を使う局所であるから、何と云っても上半身、特に首から上である。頭脳を始め、目、鼻、口、耳、咽喉部等々で、これは目の醒めている間殆ど休む事はない。特に最も神経を使う処は頭脳であろう。従而、全身の毒素は頭脳に向って不断に集溜すべく動いており、首の周囲に最も集溜するのである。それは、目、鼻、口、耳などの神経も実はその根源が頭脳にあるからである。殆どの人間が首の周りにグリグリや塊りが出来たり肩が凝ったりするのは皆その為である。処が右の如く漸次固まった毒素が頂点に達するやどうしても健康に支障を及ぼすので、これの排除作用が始まる、これを浄化作用とも言う。造物主は浄化作用に当って巧妙を極める。それは先ず最初発熱する。此熱で塊りが溶けるのである。即ち溶けて液体となった毒素は、一瞬にして肺臓内に入るや、間髪を容れず咽喉を通って外部へ排泄する。これが喀痰である。喀痰を排泄するポンプ作用が咳と思えばいい。但し後頭部から延髄部付近の毒素は鼻汁となって鼻口から出る。そのポンプ作用がくしゃみである。咳の後には痰が出、くしゃみの後には鼻汁が出るにみても明らかである。又、首から下の毒素は液体となって排泄される、それが寝汗である。又頭痛とは液体化した同素が何れかの口を求めて排泄されようとし、神経を刺激する、それが痛みである。その毒素は肺臓目がけて流入し、痰となって出るのである。何よりも吾々が頭脳を浄霊するや、瞬時に咳と痰が出、頭痛は減るのである。又節々の痛みとは、人間は常に手足を屈折するので、間接へ固まり、それの浄化が痛みである。
 右の如く、人間の病気とは、溜った汚物の掃除である事を説いたのである。従而、実は感冒程有難いものはない。という事は、病気程有難いものはない。という事は、病気程有難いとも言えよう。此理によって健康不良の原因は汚物の溜った為で、病気という清掃作用によって浄められ健康を回復するのである。従而、病気の苦痛は有難い苦痛なので、言わば清掃作用であるから、此苦痛を手をつけずにそのままにしておけば甚だしい苦痛はないのである。処が、医学は病気の苦痛を悪い意味に解釈し、止めようとする。言い換えれば、自然に出るべきものを出さないようにする為、自然と人力との衝突が起り、苦痛が増大する。此自然抑圧法を治病の方法と錯覚し、進歩し来たったのが今日の医学であるから、如何に誤っていたかが知らるるであろう。以上の如く、毒素が局所に固まるや浄化作用が起ると説明したが、これには条件を必要する。その条件とは、毒素を排泄する活動力、即ち浄化力である。此浄化力こそ或程度の健康体、即ち新陳代謝が旺盛でなくてはならない。之を逆に解した医学は浄化発生を停止させようとする。それには新陳代謝を弱らせなければならない。それは健康を弱らす事である。その方法として唯一のものは薬剤である。元来薬剤とは、実を言えば毒物である。毒だから効くのである。と云うと可笑しいが、毒を服めば身体が弱る。弱っただけは浄化も弱るから、それ丈は苦痛が減る。それを錯覚して薬で病気が治るように思ったのが既成医学であった。薬剤に限らず、凡ゆる療法も同一で、熱があれば氷で冷し、氷で冷して折角溶けかかった毒素を元通り固めようとしたり、絶対安静とは運動を止めるから弱らすには何よりである。病人でなくとも健康体でも数ヶ月も絶対安静すれば胃は弱り、食欲は減退し、手肢は使わないから痩衰え、大病人になるのは必然である。いわんや病人においてをやである。又湿布であるが、之も弱体法である。人体は口からの呼吸以外全身の皮膚面からも毛細管を通じて呼吸をしている。それを止めてしまうのである。何よりも湿布をすれば熱は減り、その部の苦痛は軽減するという事は湿布面だけは浄化が停止されるからである。
                     年代不詳
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2008年06月18日

風邪とは何か

images.jpg風邪とは何か
 人間が社会生活をするうえで、風邪を引かないようにすることは可

能であるかどうかを考えてみるべきである。恐らくこれは絶対不可能

であろう。どうしてかというと、風邪を引くということは寒い思いを

するためとされている。ゆえに就寝の際寝巻を着替えるとき、起床の

際衣服に着替えるとき、入浴の場合または降雨や寒風の際の外出など

はいずれも風邪引きの機会になるからである。だから、風邪を引く機

会を一日といえどもまったく避けることは誰にもできない。


これについて、わたしは人があまり気が付かない点を説いてみる。そ

れは実際上、必ずしも寒い思いをしても風邪を引かない場合もあり、

また風邪を引く場合もあることである。それはどうしてかというと、

寒い思いをしても風邪を引かないのは全然熱のないときであるが、寒

い思いをして風邪を引くのは、微熱のある時である。その理由はこう

である。微熱があって風邪を引くという場合は、実は風邪を引きかけ

ているとき、すなわちその前駆としての微熱であるから、その場合寒

い思いをしてもしなくても風邪を引くことになっているのである。ま

たとくに微熱のある場合は、寒い思いをしなくても悪寒があるから、

どこにいても、厚着をしても非常に寒いのである。

 しかし、ここでとくに知っておかなければならないことがある。そ

れは気候が変わり、寒気に触れる場合、その寒気に順応すべく浄化作

用が発生する。そのための感冒もあるが、これは予防不可能である。


 以上のごとき理由を考えるとき、風邪に罹らないようにすることは

絶対不可能であることが分かる。したがって、風邪を引かないように

注意するなどということはできない相談で、何らの意味をなさないば

かりか、寧ろ神経質になるという悪影響さえこうむるのである。わた

しは思う。世の中に注意によって風邪を引かぬようにでき得る人がひ

とりでもいるだろうか。

 そもそも感冒とはいかなるものであろうか。医学においては今以て

原因は不明とされている。先ず人間の健康及び不健康はいかなる原因

によるかというと、それは血液の純不純によるのである。人体は不断

に浄化作用が行なわれており、その結果として血液中の汚濁分子は一

定の局所に集留、凝結する。すなわち先に説いたように第一浄化作用

であり、ついで第二浄化作用が起こり、凝結毒素の排除作用が始ま

る。これを称して感冒というのである。そうして発熱によって凝結毒

素が溶解し、液体化し、喀痰となるが、喀痰はいったん肺臓内に滞留

する、それを咳というポンプ作用によって吸出排泄する。この理によ

って、感冒とはもっとも簡単なる浄化作用にして、健康は増進される

のである

 ゆえに、感冒とは自然生理作用である。


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病気とは排毒作用

病気とは排毒作用

 そもそも、病気を最も判りやすくいえば病気とは体内にある不純物、すなわち有毒物を種々の形によって排泄さるるその過程をいうのである、従ってこの世の中に病気ほど結構なものはないので、もし人間から病気をなくすとすれば、人間は健康を保ち得ず、到底長命などは覚束(おぼつか)ない虚弱者となるのである、これが千古不滅の真理であって、これを基本として成った医学こそ真の医学である、ゆえに、もしこの真理に外れたいかなる医術といえども、それは真の医術とはいえない疑似医術であるから、到底病気は治し得ないのである。
 そうして有毒物とは、彼の喀痰、鼻汁、喀血、出血等の汚血や、膿汁、下痢便、濁尿、汗、唾液、目脂(めやに)、涙、耳ダレ、発疹、皮膚の紅潮、仝〔同〕斑点、田虫、水虫、フケ等々であって、まず喀痰、鼻汁、汗、濁尿等の排泄作用が感冒であり、下痢や痔出血等は全身毒素が腹部へ集り、肛門から排泄されるのである、また膿汁毒血等は腫物によって排泄され、各種の毒血は天然痘、麻疹(はしか)、猩紅熱(しょうこうねつ)、発疹チフス、疥癬等によって皮膚面から排泄され、その他は毒素はそれぞれ、種々の形によって排泄されるのであるから、病気とは換言すれば、人体の清掃作用である以上、清掃された結果は血液が清浄化するから、健康を増すのである、そのため血行の循環はよくなり、殺菌力は強化され、体力強靭となるから罹病し難くなり、精神的には爽快感の持主となり、楽天的となるのである、これに反し、常に寒冒に罹りやすく、絶えず不快で、根気なく怒りやすく、憂鬱で、神経衰弱や結核に罹りやすいのは、濁血が原因であるのは言うまでもない、そうしてあらゆる病気の中でも、最も簡単にして健康上効果顕著なのは感冒に越したものはないのである、従って、出来るだけ寒冒に罹るようにするのが最もよいのであるから、常に感冒に罹るよう心掛ければ、結核及び神経衰弱などに犯される事はないといってもいいのである。
 しかるに、この理を知らない医学は、およそ反対の解釈であるから、いかに誤っているかが判るのである、何よりも今日医学は進歩せりと言いながら実際的効果ははなはだ疑問である、むしろ進歩すればする程、真の医道と遠ざかるばかりである、見よ、今日寒冒の原因すら不明であり、結核の解決さえもいかに苦心努力しても思うようにならないというに見ても明らかである。
 右の理によって、今日至極簡単な病気でさえも容易に治らないのは逆療法によるからである、事実、吾らからいえば、病気なるものは、まことに容易に治るものである、それは神が与えた清掃作用である以上、不純物がある程度溜れば人間自身が持っている良能力の活動が発生し治るからであってみれば、ほとんどの病気は、何らの手当もせず自然に放任しておくだけで速かに治癒するのである。
 ところが、いつの時代か判らないが、前述のごとく、病気を逆の意味に解し成った医学である以上、いか程進歩したとても治るはずがない、それどころか反って苦痛は増し、生命にまで危険を及ぼすのであるから実に恐るべきものとし、適当の手段を行わなければ安心出来ないという訳で、誤りを解決するのに誤りをもって発達したのが今日の医学である、とすれば、何と恐るべき愚法を続けて来たかと言えるのである、しかも、これがため何百何千年間人類はいかに大なる犠牲を払って来たであろう、それらを考える時全く聖書にある禁断の果実とは医薬をいったのではないかとさえ怪しまれるのである。
 しかしながら喜ぶべし、いよいよ天の時至って、この誤謬の真相を開明し、病なき世界を出現させようとするのであるから、近き将来すべて人間の寿齢は百歳以上は可能となり、且つ無毒者が殖えるに従って、病なく貧なく争を好まない人間が増える訳で、吾らのモットーである地上天国の実現は近づきつつありと確言するのである。
 もちろん、かくのごとき空前の大救業は神の大愛の発露と時期到来にある事はもちろんで、その最も基本的条件は、人間から病を除去する一事で、そのための主要なる点は、医学の是正でなくてはならないと共に、ここに始めて一切の誤謬は解決し地上天国は成立するのである。
タグ:病気
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